派遣OL 40代! 10年目にして想う

なしくずしに10年が経ってしまった派遣OLのあれこれ。派遣という働き方

母が食事を作るのは「あたりまえ」という集団無意識について想う・ポテサラ問題

 

どーも。

世間が落ち着いてから少し物申す派遣OLです。

 

ポテサラツイート

って知ってますか?

 

派生形で

唐揚げとか

ぶつかるオジサンとか

イロイロ話題になってました。

 

少し落ち着いてきたので

そろそろ

私の想いを言いたいなぁ

なんて。

 

 

そもそもポテサラツイートとは何か

 

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そもそものポテサラツイートとは

何かってことですが、

まずは元ネタのツイートから。

 

こちらがポテサラ問題の

元ネタです。

 

みつばちさんのツイート

 

これにツイッター民が大反響

 

そりゃあ皆、反応しますよ。

この大きなお世話のオジサンは

何様なんだと

私も憤りましたし。

 

激論がずっと続き

お惣菜を買う問題や

ポテトサラダは手間がかかる料理!

という主張

ワンオペ育児問題など

イロイロ、いろいろ・・・

 

元ネタを越えて

メディアも越えて

人の数だけの考えと

人生模様を反映した意見

インターネット上で

溢れかえりました。

 

あたりまえ!?手間は愛情なのか?

 

そのポテサラ問題の激論も

今は少し落ち着いてきました。

 

なので

私がずっと思ってきたことを

少し書いてみたいと思います。 

 

まずキャラ弁とかのブームの時にも

思ったのですが

「母は子供に手間をかけてあれこれやる」

母の手間は愛情の表現」

という風潮はどうなんでしょう。

 

手間をかけるの「も」愛情

手間をかけないの「も」愛情

と個人的には思います。

 

かの有名な詩人、かねこみすゞさんは

みんなちがって、みんないい

とおっしゃってますよね?

 

本当のところは

どっちだって良いことなんです。

 

ただ私が今回この問題について

いろいろ考えたのは

低俗すぎるオジサンはともかくとして

それに傷つき驚き悲しむ母がいる

その現実に目をむけてほしい

という思いが

図らずも叶ったからなんです。

 

社会的な「母は頑張るのが当然」

「愛情があれば頑張れるはず」

という無言の圧力が日頃からある

 

そんな現実に

そろそろ目をむけよう

というきっかけ

となったのではないでしょうか。

 

そう

頑張らなくても愛はあるし

手間をかけなくても愛はある

そこまで一生懸命やらなくても

愛は伝わるのでは!?

 

動物としての本能

 

ただ忘れてはいけないことですが

結局は人間だって

動物だと思うのですよ。

 

その本能として

子供に食べ物を食べさせる

というのは

子供を産んだ母に深く根付く感情。

 

それを否定したいわけではありません。

 

原始的かつ動物的な事柄として

母が子供に乳をあげたい

と行動するのは

どんな動物であっても本能です。

 

それは

私も身につまされてわかります。

 

意思ではどうにもならない

なんらかの衝動?感情?

考えずに起こしてしまう行動?

なんですよね。

 

そして、そこから派生して

子供の食べ物を何とかする

っていうのも

本能レベルのことかな

とは思います。

 

一方で時代が進んで

お乳が出なくてもミルクがあるし

母じゃなくても父でも

シッターさんでも誰でも

ミルクやご飯があげられるように

なって来ました。

 

だから

そのDNAの奥深くからの呼び声を

そこまで気にしなくても

良くなってきている

 

とも思います。

 

世界の母の集団無意識

 

しかしながら、その上で

この地球上の何億人もの

世界各地の母

多分同じことを思っています

 

それは多分

今日の晩ご飯、どうしよう

です。

 

立場も環境も

民族も経済状況も

違うだろうけれど

同じような想いが

母の数だけあるのだと思います。

 

ある人は食材の入手で悩み

ある人はレシピで悩み

ある人は経済状況で悩み

ある人は時間不足で悩み

ある人は夫の機嫌で悩み

ある人は子供のアレルギーで悩み

ある人は自分の体調で悩み・・・

でも思うことはひとつ。

 

今日の晩ご飯、どうしよう

 

多分、一部の

男女同権が進んだ国や地域や

素敵な家庭は別ですが

母が晩ご飯を作る

あるいは、どうにかする

というのは、まだまだ世界共通で

そこらに転がっている

普通の事柄なんだと思います。

 

だから

脈々と何千年も

そして今日も

何億人もの母が

今日の晩ご飯、どうしよう

思っている訳で。

 

その大きく膨れあがった

集団無意識

ついウッカリ左右されてしまう

そんな現代日本人も多いのでは?

と思うのです。

 

まとめ

 

オジサンや世間の意見はともかく

私は晩ご飯の作り手として

そして母の立場として

このポテサラ問題を

考えてみました

 

言いたかったのは

シンプルに

晩ご飯を完璧に作れないときに

自分で自分をつい責めてしまうけれど

それは不要だから!

ということ。

 

なんだか

晩ご飯をちゃんとできない

(自分で手間をかけて作れない)

ということに

謎の罪悪感があるんですよね。

 

でも、それはきっと

極論ながら

単に集団無意識の影響を受けているからです。

 

だから、もっと現代日本の母は

自由になっていいと思います。

 

自分で自分をしばっていることに気付いて

考えや社会や歴史や

そんなものから心をほどいて

大丈夫!

 

無理をしなくても

手間をかけなくても

変なオジサンがわめいていても

気にしなくて大丈夫!

 

・・・じつは

過去にも似たようなことを

言っております💦

 

よかったら、こちらを ↓

 

 

母の笑顔が一番よ!

 

ということで

過去記事をもうひとつ!

 

まだの方は

ぜひ、ご一読あれ!

 

ひららん ♪